ふと、思い出して
放置しても生きていた(笑)
無機質つて凄い
一年たってました
ブログ書くのやめてσ(^_^;)
暇が無かったのもありますし、書きたい事も無かったし
ただこの一年は
充実した忙しさで
過去のバタバタした忙しさとは違ってました。
このくらいのゆるゆる感が
まあ、いいのかも
8月のつぶやき
8月になって連日猛暑がつづいています。
今日も暑いです。
裏山の木陰に蝶が長く羽休みをしているように止まっていました。
部屋からズームで撮りました。
蝶をいとも簡単に撮れるのは大変珍しいです。
満月の前日に撮った月です。
いつも撮る月となにか違和感がありました。
PCに保存してあった、以前撮った月と比べてみました
2010の3月の月
今年の6月の月。
もう一度今月の月
いつも下位置に見える大きなクレーターの場所がズレていますね。
地球から見える月は月の海側と言われているようですが、動くにしても頑として海側しか見せない月って、なんなんでしょう。
というか見方では
月が動いていたのか、はたまた地球が動いたのか
天動説か地動説か
次回の満月の時にこのクレーターがどこに位置するのかで決まりますかね(笑)
とわいえ、この月を撮ったあと、急に熱っぽくなり、体調を壊して翌日は一日中寝込んでしまいました。
今日はほぼ回復
タイミングよすぎだわ。
ま、夏のミステリーってことにしておきましょう。
晴れた日の
7月も半ばになりました。
今年は雨が大変よく降ります。
記憶が正しければ、今月の晴れ間は本日をいれてもたぶん7日間ぐらいしかなかったように思います。
おかげでクーラーを入れる頻度がさがり、計画停電が実施されながらも、予定のみで済んでいるようです。
本日は久し振りに晴れています。
厚い入道雲を見ると、ああ夏の空だなと思います。
福岡では山笠の追い山も今朝無事に終わり、山笠が終わると夏本番といわれています。
豪雨による南九州の災害もあり、もうこれ以上の災害は起きてほしくないですね。
できれば、台風の被害などが今年はありませんようにと願ってしまいます。
今月は雨のせいもあり、外でデジカメを回す機会がほとんどなかったですが
咲き始めの頃の紫陽花を数枚とっていたので、アップしておきます。
雨が降るたびに色濃くなるという紫陽花ですが
今年の雨は紫陽花もうんざりな気分ではないかと思ったりもします。
雨が降らないとまた困ったことになるので、程よく気象が循環し、季節を巡ってくれることを願うばかりです。
とはいえ、わたしの周辺では大事にいたることなく生活できているので、これには感謝しています。
夏本番になって、体調など壊さないようにしないといけませんね。
自分でコントロールできるものは限られていますから、せめてそれくらいはやらなくてはと思います。
視点をかえたならば
昨日誘われるままユベール・ロベール展を見に行ってきました。
ユベール・ロベールは18世紀の画家です。
写真などない時代 デッサンでしかその時の情景を残せなかった頃の風景はとても写実的でした。
そこにある道端の砂利ひとつもデッサンのなかには描かれているような気さえする繊細な描写でした。
評論家ではないのでくわしくは書きませんが、派手さはありませんがとても趣がある作品で後に後に印象に残るような作品でした。
絵画を思い出すたびにリアルに感じてくるのがすごいなと思います。
一緒に行った友人が風景画に描かれている空がきれいだね。といいいました。
数百年前の空は、今見る空よりきっと鮮やかな色をしていたのではないかと思いました。
その頃の空を実際にカメラで撮ってみたいものです。
ところで
数日前も思ったのですが、街中を車の中から覗いていると 行き交う人々の表情が誰もどこかくすんでいるようにみえます。
特に一人で歩いている人。ショピングをしている人の表情も生き生きしてない。
人の表情ってこんなだったかな・・?
なんて思ってしまうくらい。
不景気なせいでしょうか
忙しくしていた頃は、通りすがる人の顔なんて見ないし、興味もなかったせいでしょうか。
それとも、「ストレス時代」のせいでしょうか
十年まえはもっと表情が生き生きしていたきがします。
今はとくにメンタル的にふさぎがちになることが多いから、仕方がないのかもしれません。
わたしもその中の一人ですし(^^;
どこの誰かも知らない方の表情を見てうんちく言うのは無粋なのかもしれませんが、どこの誰かも知れない人たちの表情がみな生き生きしていたら、世の中はもっと良くなるんじゃないかとも思います。
いい顔をしている人たちの中で生活がしたいと思うのは、みな同じなんじゃないかなと思います。
そんな時
友人の買い物を待っている時、ふと、なぜかふと思ったのですが
内側から外を見ていると、外側はとても果てしなくて、そう思うと自分の存在など何の価値も無く見えてくるけれど
視線を変えて外側から内側をのぞいてみたら
きっと、そこに存在していることが奇跡的なことなんじゃないかと。
ここでいう内側 外側は、地球からの宇宙とでもしておきましょうか。
もし、自分が異世界の立場で今のこの星の世界をのぞいたら、きっとそんな風に思うかもしれない。
だから、何もしていなくても、楽しいことがなくても、辛いことがあっても 思うようにいかなくても
そうして存在している私たちは皆、奇跡な日々を送っていることになります。
ラッキーですね。
まあこれが、ひょっとしたら幸せの定義なのかもしれないな・・・。
この次元では、存在することが何よりも大事なことなので。
泣こうが 笑おうが 怒ろうが 悩もうが
すべてが存在の証し
今日も、明日も奇跡が続きますように
というわけで描いてみた
昨日書いたブログの中で 写真に絵を描いてイラストにしたいといったのですが
今日暇だったので^口^
描いてみました
あまり大きくすると荒がみえるのですが(^口^;
全然お遊びな出来栄えで 自分でも恥ずかしいのですが
こつこつ練習しすればそのうち 納得のいくようなイラストが出来上がるかもですね。
ちなみに元写真も貼り付けておきましょう
過去にデジカメで撮ったもです
蝶も夜桜も大好きなのですが なかな上手にとれないですね^^;
とくに夜桜は 難しいです。
夜景モードだけでは桜はとれないから
きちんと照明とか必要だし、なにより夜桜の時期は寒くて寒くて・・・><
いつか万全な準備を整えて奇麗に撮ってみたいとおもいます。
それにしても、やっぱりペン型マウスほしいです
雲を見て思い出したこと
気がつけばもう6月も11日めに入っていました
最近、時間の流れについていけていないような気がしてなりません。
6月にはいっった晴れた日に撮った空です
2008年からデジカメを撮るようになって もうなんだかんだ4年撮り続けてるんだなと感心しています。
もともと飽きっぽいのと、ある日急につまらなくなって放置したり、捨てたりする性分なので。
そういえば、もともと携帯の写メで空を撮るようになったのがきっかけです。
そうそう^^
ある日突然 写メを空にむけたら、思った以上にきれいに撮れtから それからとるようになったのでした。
残念ながら、その頃のデータは残ってなく
某ブログのアルバム機能にアップしているの以外、手元には残っていないのでした。
今でこそ、携帯のカメラもすごい画素なので、デジカメと変わらないほどの機能がありますが
今から4年のまたその前くらいだと
やはり物足りない感があり、デジカメ機能重視の携帯はなぜかとても使いづらくて、壊れてしまった記憶があります。もともと機種との相性が悪かったのかもしれませんが。。。
雲の造形を見ながら、いろんな形に見えるのがとても面白いです。
人によっては全然見えない形に見えたりするのでしょうが
それがおもしろかったりします。
いつか自分が撮った写真とイラストをうまくミックスして、どう見えるのか描けたらいいなとは思いますが
何分絵心が。。。^^;
いま地道に練習していますが
やはり ペン型マウスがないと 難しいなとか思ったりします。
そのうちに入手しましょう。
ところで、前のダイアリーに書いた「光の粒子」の件ですが
小学生の頃、見えていた記憶がハタとよみがえりました。
低学年の時だけですが、今よりも粒子の粒が大きかったような気がします。
あの頃は見えるのが当たり前だったから、誰かに確かめることなく物珍しさも違和感もなかったんだと思います。
そのうちにそんなことすら忘れてしまってたようです。
記憶って、ほんとにひょんなことで完全に忘れていたことも思い出すんですね。
大人になって「空がきれいだ」なんて思うことすら忘れていた頃もありましたっけね
ある意味
童心に却っているのかもしれないです(^^;)
まあ、空を見るといいことばかりではない事もありますが
少なからず、空を見てきれいだなと思える気持ちは持ち続けたいと思います。
不安なことに負けないように
しっかり生きなくては・・・なんてね
もうこんな時間か・・・
早いもので今年も半分過ぎてしまう月になってしまいました。
のんびりしていると時間の観念がなくなって、特に何もしないままでも一日があっという間に過ぎてしまいますが、忙しい時も結局時間に追われ一日早く過ぎたりする。
忙しくてものんびりしていても 実はあまり変わりないなとか、ちょっと考えてしまいました。
子供の頃は一日が長かったように感じたのは、大人にくらべて代謝がよくて、よく動くから。
体も大人の半分ですし
なんだかよくわからないけれど、なぜがいつも駆け足で走り回って動いていたような気がする。
大人になって、代謝が年々悪くなる分、動作も年々遅くなっていきますね。
もうとうてい子供みたいには動けないです
もちろん、日々の鍛錬で、俊敏に動く大人も沢山いらっしゃいますけどね。
スポーツマンとか
体力もだけれど、脳内の活動も遅くなります。
ところで地球にいると一日は24時間なのだけれど
地球が一回転すれば一日なら
もし何かの事情で回転が速くなっていったら、わたしたちはやっぱり早い一回転を一日と呼ぶんでしょうか。東からの太陽をみて朝 太陽が頭上にくれば昼 暗くなったら夜。
もうお昼か・・もう夜か
それを信じて動きます。暗くなれば夜 明ければ朝
人間だけじゃなくて、地球上にいる動植物全部がその回転の速度に合わせる事になるから、気が付きようがない。まるでミキサーの中のような感じか
時計は・・・今は自動で時間修正するんでしたっけ?
おやまあ・・都合良いですね
もしそうなったら、誰も気がつかないんでしょうね。
ただ、ああ、もうこんな時間 もうこんな時間と思うだけ
確かめようがないですものね。だって、一回転したら一日なんですから。
というわけで、今日は朝からパソコンに向かっていろいろしていたら、気がつたら明日が今日になっていましたとさ、という日でした。
ほんとに一日が速いです。→文頭に戻る