視点をかえたならば
昨日誘われるままユベール・ロベール展を見に行ってきました。
ユベール・ロベールは18世紀の画家です。
写真などない時代 デッサンでしかその時の情景を残せなかった頃の風景はとても写実的でした。
そこにある道端の砂利ひとつもデッサンのなかには描かれているような気さえする繊細な描写でした。
評論家ではないのでくわしくは書きませんが、派手さはありませんがとても趣がある作品で後に後に印象に残るような作品でした。
絵画を思い出すたびにリアルに感じてくるのがすごいなと思います。
一緒に行った友人が風景画に描かれている空がきれいだね。といいいました。
数百年前の空は、今見る空よりきっと鮮やかな色をしていたのではないかと思いました。
その頃の空を実際にカメラで撮ってみたいものです。
ところで
数日前も思ったのですが、街中を車の中から覗いていると 行き交う人々の表情が誰もどこかくすんでいるようにみえます。
特に一人で歩いている人。ショピングをしている人の表情も生き生きしてない。
人の表情ってこんなだったかな・・?
なんて思ってしまうくらい。
不景気なせいでしょうか
忙しくしていた頃は、通りすがる人の顔なんて見ないし、興味もなかったせいでしょうか。
それとも、「ストレス時代」のせいでしょうか
十年まえはもっと表情が生き生きしていたきがします。
今はとくにメンタル的にふさぎがちになることが多いから、仕方がないのかもしれません。
わたしもその中の一人ですし(^^;
どこの誰かも知らない方の表情を見てうんちく言うのは無粋なのかもしれませんが、どこの誰かも知れない人たちの表情がみな生き生きしていたら、世の中はもっと良くなるんじゃないかとも思います。
いい顔をしている人たちの中で生活がしたいと思うのは、みな同じなんじゃないかなと思います。
そんな時
友人の買い物を待っている時、ふと、なぜかふと思ったのですが
内側から外を見ていると、外側はとても果てしなくて、そう思うと自分の存在など何の価値も無く見えてくるけれど
視線を変えて外側から内側をのぞいてみたら
きっと、そこに存在していることが奇跡的なことなんじゃないかと。
ここでいう内側 外側は、地球からの宇宙とでもしておきましょうか。
もし、自分が異世界の立場で今のこの星の世界をのぞいたら、きっとそんな風に思うかもしれない。
だから、何もしていなくても、楽しいことがなくても、辛いことがあっても 思うようにいかなくても
そうして存在している私たちは皆、奇跡な日々を送っていることになります。
ラッキーですね。
まあこれが、ひょっとしたら幸せの定義なのかもしれないな・・・。
この次元では、存在することが何よりも大事なことなので。
泣こうが 笑おうが 怒ろうが 悩もうが
すべてが存在の証し
今日も、明日も奇跡が続きますように